寝かしつけ

執事衛人×世話され拓海 001の要素あり


「拓海クン? まだ眠れてないの?」
「蒼月」
日付が変わる時間帯。ノックの音が聞こえたあと、扉が少し開き、蒼月がオレの部屋を扉から覗いて言った。うちの屋敷の執事である蒼月は毎晩見回りをしているらしい。珍しくこんな時間まで明かりがついている俺の部屋を見て、来てくれたのだろう。
「お邪魔するね」
蒼月が部屋に入ってきて、静かにドアを閉める。蒼月がオレの座っているベッドまでまっすぐ歩いてくるのを眺めていた。目の前まで来た蒼月はしゃがみ込み、目を合わせる。
「どうしたの? 学校で嫌なことでもあった?」
心配しているのか怒っているのかわからないような、静かな声音で問われる。
「いや、学校は楽しいよ」
「そう? なら何か悩みがあるのかな」
そう言うと蒼月はオレの横に腰掛ける。ふわりと蒼月の匂いがして、自分以外の人の存在を感じて安心する。
眠れない理由はよくわかっている。頭の中に、今のオレの日常とはかけ離れた悲惨な状況の記憶が浮かび、頭から離れないのだ。それは実際の自分の記憶ではなく、他の自分が体験した記憶だとなぜか分かっている。その記憶では、十五人の仲間がいて、その仲間と共に戦闘がある非日常的な毎日を送っていた。そしてその仲間の中には蒼月もいた。
眠れないのは、その蒼月に関することでもあった。この記憶の中でオレはこの男にこっぴどく裏切られた。裏切られ台無しにされた百日間をやり直すために過去に戻った。その結果、最終的に蒼月は、自ら眼を抉り出し、仲間の許しを得て本当の仲間となったのだった。
そこまでして過去の裏切りを償った蒼月。視覚を封じなければオレたちと一緒には居られないほどの認識障害を背負った蒼月。戦いの最後には目の前で死んでいく仲間たち。そしてその仲間たち全員に自らの手でとどめを刺すあの感触。その全てがオレを重苦しくさせていた。
今の自分が体験したわけではない恐ろしい記憶で頭がいっぱいになっていることを伝えるわけにもいかず、どう答えるべきかと黙っていると、ずっとこちらを見つめていた蒼月が立ち上がる。
「ちょっと待ってて」
そう言って蒼月は部屋を出ていった。


数分後、ノックの音があり、返事を待たずに蒼月が部屋に入ってくる。
「お待たせ。はい、温かいミルク入れてきたよ。どうぞ」
「ありがとう、悪いな」
手渡されたカップを受け取ると、手に温かさが沁みる。不安で手が冷たくなっていたようだ。カップに口をつけると、熱すぎずちょうど良い温度になっていて、蒼月の心遣いが沁みる。やっぱり執事としては優秀だなと実感する。温かいミルクを口に含み、飲み込む。温かさが染み渡り、ぽかぽかして身体のこわばりがほどける感じがした。
「どうかな? 温かいもの飲んで、少しは落ち着いたらいいんだけど……。あとはこれね、はい」
「ん? おい……なんだこれは」
座っているオレの膝の上にクマのぬいぐるみが置かれる。
「見ての通り、クマのぬいぐるみだけど。ひとりじゃ眠れない拓海クンにね。一緒に寝てくれるお友達だよ」
「子ども扱いしてるな⁉」
「ふふ、ホットミルクにクマのぬいぐるみ……。眠れないお子さまにはぴったりだね」
蒼月は無邪気に笑う。絶対馬鹿にされている。
「ほら、ミルク飲めたらベッドに横になって」
「くっ……」
馬鹿にしてくる奴の言う通りにするのは癪だったが、執事としての蒼月が言うことを聞いておけば悪いことにはならないということはわかっていた。だから言うとおりにする。飲んでいたカップを蒼月に渡し、布団の中に体を潜り込ませ、横になった。
「ほらほらクマさんも一緒に、だよ。『拓海ク~ン、ボクも一緒にお布団入れてほしいなぁ』……ってね」
蒼月の手でクマが踊るように動かされる。
「はいはい、一緒に寝ればいいんだろ。わかったよ」
クマを布団に入れ、オレの横に寝かせる。
「これでばっちりだね。電気消すよ。あ、真っ暗にはしないからね」
「わかった」
ベッドサイドのライトだけを残し、部屋の電気を消す。蒼月の顔に影がかかる。
蒼月がベッドに腰掛け、オレの手をゆるく握ってきた。手袋のままの蒼月の手、少し硬い。
「ボクも傍にいるよ。手握っておくから」
「……かたい、手袋」
思ったことをそのまま言ってみた。
「外してほしいの? 欲しがりさんだね」
蒼月は困った顔で笑う。やはり外してはくれないみたいだ。潔癖症なのか、手袋を外した蒼月はあまり見たことがない。オレも蒼月の手を握り返す。手袋越しでも蒼月の手の感触、存在がわかる。温かさも伝わってくる気がする。
「ほら、もう目を閉じて。何を悩んでいるのかボクにはわからないけど、不安がっているのは見ればわかるよ。眠れるまで何時間でもそばにいるから安心して」
「うん……」
今のオレには人の存在から与えられる安心感が必要なのだと、蒼月にはわかっているのかもしれない。蒼月は人のことをよくわかっている。あの頃もそうだった。人間を憎みながら、人間を理解しすぎていた。
「オレのために悪いな」
「いいよ。拓海クンのお世話をするのがボクの仕事だもん。キミの世話はめんどくさいことも多いけど、今日みたいに不安がってる姿を見れると可愛がり甲斐があって楽しいよ」
「趣味悪いな、お前」
「ありがとう、拓海クンからの罵倒はご褒美だよ」
この男には何を言っても響かなさそうだ。いつもこいつに上に立たれることになんだか腹が立ってきたので、腹いせに手に力を込めて握りしめてやった。
「ああっ……痛いよ拓海クン……。ふふ、嫌がらせなの?」
その通りではあったが、そうだ、とは答えず代わりに手に込めていた力を緩め、もう一方の手を出してきて蒼月の手袋を脱がしにかかる。
「え……ちょっと」
抵抗されるかと思ったが、意外にも抵抗はされなかった。さすがにやりすぎたか? 怒っていないか顔をチラリと見て様子を窺う。見たことのない表情をしている蒼月と目が合う。
「い、いきなりどうしたの? 恥ずかしいよ」
怒ってはいないようだ。むしろ照れている? 恥ずかしがっているようだ。部屋が暗いのでよく見えないが、もしかしたら顔が赤くなっているのかもしれない。とりあえず蒼月を困らせられたことに満足する。オレは一方の手で彼の手を押さえ、もう片方で手袋の指先をつまむ。指を一本ずつ引き抜いていく。蒼月の何も身につけていない手があらわになった。色白で少し骨ばっている。
「も、もう……急にこんなことしてくるなんて……! ボクを困らせるなんて、悪い子だな……。いい子だからもう目を閉じて」
「悪い子なのか良い子なのかどっちなんだよ。蒼月って潔癖症なのか?」
「うーん……まあ潔癖の気はあるかもね。でも拓海クンに直接触れたくないから手袋をしているわけじゃないよ。ただ、手袋越しに触れる方がしっくりくるんだ」
「そうか。お前のこと、知ってるようで知らないから聞けてうれしいよ」
オレは改めて蒼月の手を握る。皮膚と皮膚が触れ合う。蒼月の手は男らしくゴツゴツとして固いが、手入れされているのかすべすべしていて触り心地がよかった。オレが素肌の感触を味わっていると、蒼月は握られていない方の手を胸に当て、苦しそうにしだした。
「うっうう……拓海クンが可愛すぎて胸が苦しいよ……」
「なんだよそれ」
蒼月は顔を顰め、ふう、とため息を吐いた。すると蒼月は胸に当てていた手を口元に寄せ、指先を噛むようにして手袋を外した。なんだその外し方……! 妙に色っぽく見えて、見てはいけないような感じがしたが、目が離せなかった。こんな動作でも絵になるのが蒼月だった。そして手袋を外した手を、握っている手の上にそっと重ねてくる。まるで壊れものを包むように、あたたかく握りしめられた。
「拓海クンの手、温かいね。眠くなってきた?」
確かに、目の前の蒼月とのやり取りのおかげで、随分と気が楽になった。不安が消えたのか、眠気が襲ってくる。もう大丈夫だと思えて、手を繋いだまま目を閉じる。そういえば蒼月はこれからまだ仕事があるんだろうか? オレより後に寝て、いつもオレより先に起きてるよな? 大丈夫なのか? 蒼月の時間を使っていることに申し訳なく思えてきた。。
「蒼月、いつもこんな夜中まで見回りしてくれるし、今日はオレに付き添ってくれるけど、お前もちゃんと休んでくれよ。……心配なんだ」
「随分と素直だね。ボクのことなんて別に心配してくれなくて結構だよ。仕事だからね」
あくまでも仕事だという蒼月に、少し胸がチクリとした。自分という個人に対して特別な思いを持ってくれているのではないかと期待していたのだろうか。しかし繋いだ手が温かく、穏やかなぬくもりの中で目をつむると、すぐにまどろみに落ちていった。

すうすうと寝息を立て始めた拓海を見つめる蒼月。もう寝かしつけ役は必要なさそうだ。しかし繋いだ手はまだそのまま。
「キミってこんなにかわいかったんだね」
しばらくそうしていた後、名残惜しそうに手を離し、立ち上がる。外していた手袋を装着し、部屋を出ていく。
「おやすみ、拓海クン」


翌朝
 朝。毎朝蒼月が部屋に入ってくる気配で目を覚ます。
「おはよう、拓海クン。起きて、朝だよ」
「んん……おはよう」
「夜中起きたりしなかった? 怖くなったりしなかった?」
「ああ、大丈夫だったよ。昨日はありがとな」
思い出すと結構恥ずかしいこと言っちゃったりしたな……。照れくさい。
「どういたしまして。でももしこういったことが続くようなら、昨日みたいな応急処置じゃなくて、他の対応策も考えていかないとね……」
「そうだよな、毎日お前の時間を取るわけにはいかないからな」
「あ、別にボクが拓海クンに時間を取られるのが嫌だとか、そういうわけじゃないからね。キミにとってより良い方法を探りたい、って意味だよ」
優しい。
「寝付けるように睡眠薬を飲むとかね。ひとりが不安ならボクの部屋に来てもらってもいいし、添い寝とかしてもいいし」
添い寝……??
「そ、添い寝までしてくれるのか? オレのこと嫌いなんじゃなかったのか?」
「え? まさか! どうしてそう思ったの?」
蒼月は不思議そうな顔をする。本当に疑問に思っているみたいだ。
「いや……昨日はオレの世話なんてあくまで仕事だ、みたいなこと言ってただろ? それに、潔癖なお前がそこまでする義理なんてないだろ」
「ふふ、拓海クンて感情的に考えちゃうのかな。ボク、仕事だからやるとは言ったけど、仕事じゃなかったらやらないとか、キミのこと嫌いとか好きじゃないとかは言ってないよ。確かに仕事では、嫌いな相手にも良い顔をして裏ではすごく嫌ってる人もいるけど……今回の件はキミは裏を読みすぎだね。ボクたちの関係が仕事の関係だからって、ボクがキミを好きじゃないってことはイコールにはならないよ? 仕事だからボクが嫌々やってるとでも思ってるの?」
「そ、そうだったのか……。悪い、オレの早とちりだったな」
この蒼月は、裏切った蒼月とは違うようだ。
蒼月はにっこりと笑った。


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